第9.5話 僕が作る

ドゥランドから戻って何日かすると、粥が目に見えて薄くなった。

毎朝ウェレラさんが鍋をかき回すたびに、木の匙が鍋の底に当たる音がした。雨季の初めは、一年でいちばん倉が細る時期なのだと、セルヴィーニャが身振りで教えてくれた。去年の実りはもう残り少なく、今年の種は畑に播いたばかりで、やっと芽が出たところだった。

粥は、小さな黄色い粒を、水で長いこと煮たものだ。ほんのり甘くて、塩気はほとんどない。毛山羊の乳を少し落とす日もある。それに、ヒルヴァンが干した鹿の肉の切れ端か、乾かしたきのこが少し。茶は針葉樹の葉を煮出したもので、苦い。

まずくはない。むしろ、落ちてきた次の朝に食べた粥の温かさを、僕は一生忘れないと思う。

でも、朝も昼も夜も、ここでの食事のほとんどは粥だった。

上着の紐を締めるとき、前より一つ先の結び目まで届くようになった。手首の骨が、前より目立つ気がした。

夜、寝床で目を閉じると、食べ物の夢を見るようになった。白いご飯。味噌汁の湯気。焦げ目のついた卵焼き。コンビニのからあげ。目が覚めると、雨の音がして、口の中に何の味も残っていなかった。

◆

その日も雨だった。

降っているのか降っていないのかわからないくらいの細い雨が、朝から晩まで切れ目なく続く。屋根の石を伝った雨水が、軒の先から細い糸になって落ちて、戸口の前の甕にたまっていく。家の中の何もかもが、ほんのり湿っていた。

昼すぎ、セルヴィーニャが籠を二つ持って、僕の袖を引いた。

町の外の、石垣の根もとや畑のあぜに、小さな緑がびっしり萌え出ていた。冬のあいだ雪の下で灰色だった地面が、雨を吸って、黒く柔らかくなっていた。踏むと、履き物の下で土が沈んだ。セルヴィーニャはしゃがみこんで、緑の一つを指でつまんで摘んだ。葉の先が丸くて、茎が赤みを帯びた草だった。

「lénþa. mán食べる!」

食べられる、ということらしい。

セルヴィーニャは、似た草を摘んでは籠に放りこんでいった。指先が、すぐに土と草の汁で緑色になった。ときどき僕の籠をのぞきこんで、僕が摘んだ草を一つつまみ出して、黙って捨てた。似ているけれど違う草なのだ。どこが違うのか、僕にはさっぱりわからなかった。葉の形も、色も、同じに見えた。セルヴィーニャは、一目で見分けていた。

石垣の陰の湿ったところには、きのこが生えていた。茶色くて、傘の裏が白い。スーパーで見るきのこに、少し似ていた。僕はそれを三つ摘んで、得意になって籠に入れた。

家に帰ると、ウェレラさんが籠の中身を一つずつ炉の明かりにかざして確かめた。若菜は全部合格だった。セルヴィーニャが選び直してくれたからだ。

きのこは、三つとも炉の火に投げこまれた。

「þérno.」

ウェレラさんは、それだけ言った。セルヴィーニャが、自分の喉に手を当てて、白目をむいて舌を出してみせた。

毒きのこ。

三つとも。同じようなのを三つ摘んだのだから、当たり前だった。火の中で、きのこがじゅっと縮んでいった。

◆

若菜の籠を見ていて、思いついたことがあった。

すいとん。

おばあちゃんが、冬になるとときどき作ってくれた。小麦粉を水でこねて、だし汁にちぎって落とす。野菜と、きのこと、少しの肉が入る。

おばあちゃんは、すいとんを作るたびに、同じ話をした。おばあちゃんのお母さんの話だ。戦争のころ、米がなくて、すいとんばかり食べた。粉をこねて団子にすると、同じ量でも粥よりお腹にたまる。よく噛むから、少しでもお腹が膨らむ。ひもじいときの食べ物なのだと。

――今はこんなにおいしく作れるんだから、ありがたいねえ。

おばあちゃんはいつもそう言って、僕の椀にいちばん大きいのを入れてくれた。

僕は、炉の前のウェレラさんを見た。

落ちてきて六日目の夜、ウェレラさんは、自分の椀の粥を減らして、僕の椀にいちばん多くよそった。冬の倉が細かったのに。僕が押し戻しても、首を振って押し返した。

あれから、ずっと考えていた。何か返せないだろうか、と。

◆

僕は、穀物の壺を指さして、それから自分の胸を指さした。

「brólim僕が作る.」

bról は、ゆうべヒルヴァンが籠を編みながら口にした言葉だった。編みかけの籠を持ち上げて見せたから、たぶんbról作るだ。

ウェレラさんが眉を上げた。

「pón bróles何を作るんだい?」

何を、と言われても、すいとんという言葉はない。僕は、両手で何かをこねる仕草をした。それから、丸めて、鍋に落とす仕草。

でも、その前に、粉がいる。

壺の粒を指さして、両手のひらをこすり合わせた。すりつぶす。細かくする。粉。

セルヴィーニャが、ぱっと顔を輝かせて、炉ばたの床の隅を指さした。平たい石の台と、丸い握り石が置いてあった。台の真ん中は、長いあいだ使われて、浅く舟の底のようにくぼんでいた。セルヴィーニャはその前に膝をついて、握り石を両手で持って、台の上で前後に押してみせた。

「dérvimor kálmo.」

それから、握り石と台石をまとめて指さして、

「dervó.」

台の上に残っていた白い粉を指でつまんで、ふっと吹いた。粉が、炉の明かりの中にふわりと舞い上がった。

「dervá.」

dérvimor の dérv- が、挽く。dervó が、挽く石。dervá が、粉。

一つの言葉から、三つの言葉ができている。僕は思わず、指を折って数えていた。

それから、首をかしげた。

dervó は o で終わる。水の ílmo や、氷の glünó と同じだ。石なのだから、それはわかる。

でも、粉は dervá。a のほうだ。人を呼ぶときの、あの a。

粉が、どうして人と同じなのだろう。

セルヴィーニャが、もう一度、指先の粉を吹いた。白い粉は炉の煙にまぎれて、天井の煙穴のほうへ昇っていった。

◆

ウェレラさんは、長いあいだ穀物の壺を見ていた。

それから、壺の口に木の椀を入れて、すりきりで一杯すくった。もう一杯。それから、もう少しだけ。今夜の粥の分。いつもと同じ量。それより多くはなかった。

それを、僕の前に置いた。

僕はうなずいた。それで十分だった。同じ量で、お腹にたまるものを作る。それがすいとんだ。

椀の中の粒を、僕は初めて、近くでじっくり見た。

小さくてまん丸の粒。薄い黄色で、炉の明かりにかざすと、少し透きとおって見えた。指でつまむと、さらさらと指のあいだからこぼれた。

どこかで見たことがある、と思った。

小学校の教室の隅で、インコを飼っていた。当番の日に、餌箱に入れてやった黄色い粒に似ている。

粟だ。大きさも、色も、こぼれるときの手ざわりも、粟によく似ていた。雨季の初めに畑に播いた種も、この粒だった。毎朝食べている粥は、粟の粥だったのだ。

さっきセルヴィーニャが言った kálmo は、この粒のことだろう。

落ちてきてから、毎日、朝も昼も夜も食べていて、僕は初めて自分が何を食べているのかを知った。

セルヴィーニャと二人で、粟を挽いた。握り石は思ったより重くて、腕がすぐにだるくなった。ごろごろという低い音が、雨の音に混じった。セルヴィーニャは慣れた手つきで、すいすいと挽いていく。僕が挽いた粉は粗くて、セルヴィーニャが挽いた粉は細かかった。セルヴィーニャは僕の粉を、黙ってもう一度挽き直した。

粉に水を少しずつ落として、こねた。粟の粉は小麦粉とちがって、なかなかまとまらなかった。ぼろぼろと崩れる。水を足すと、今度はべたべたになる。手のひらにくっついて離れない。指を開くと、指のあいだに黄色い膜が張った。セルヴィーニャが、横で笑い転げていた。

残してあった粉と水を少しずつ足し、同じ生地を何度もこね直した。やっと耳たぶくらいの固さになった。

鍋に水を張って、ヒルヴァンの干し肉の切れ端を入れた。ヒルヴァンは、何も言わずに、壁の干し肉の束から、いつもより少しだけ大きな切れ端を切ってくれた。それから乾いたきのこ。ウェレラさんが選んだ、毒のないほうのきのこ。煮立ったところに、指で生地をちぎって落としていく。

ぽと。ぽと。

団子は鍋の底に沈んで、しばらくすると、ふわりと浮かび上がってきた。最後に、若菜を入れた。緑が、湯の中でさっと鮮やかになった。湯気に、青い草のにおいが混じった。

セルヴィーニャが鍋をのぞきこんで、浮かんだ団子の一つを指さした。

「pó éso sóこれ何?」

「すいとん」

「スイトン?」

セルヴィーニャは、口の中でその音を転がした。スイトン。スイトン。

そのとき、ウェレラさんが鍋をのぞきこんで言った。

「hégro.」

僕は顔を上げた。

ウェレラさんは、鍋の中のすいとんを見ていた。驚いた顔ではなかった。昔からよく知っているものを見る顔だった。

知っているのだ。この人たちは、これを知っている。

ウェレラさんは、腰の小袋を開けた。塩の袋だった。ウェレラさんは指先で塩をひとつまみつまんで、鍋の上で、ゆっくりと指をこすり合わせた。白い粒が、湯気の中にきらきらと落ちていった。

◆

五つの椀によそった。ウェレルはドゥランドへ下りていて、いなかった。

僕は、ウェレラさんの椀に、いちばん大きなすいとんを入れた。それから、いちばん多くよそった。

ウェレラさんは、自分の前に置かれた椀を見た。それから、僕の顔を見た。

押し戻されるかと思った。

ウェレラさんは、押し戻さなかった。椀を両手で持ち上げて、ほんの少しだけ頭を下げた。

「fláinimありがとう.」

みんなで食べた。

粟のすいとんは、小麦粉のより、ざらりとして、噛むとほのかに甘かった。干し肉の脂が、汁にほんの少し溶けていた。それから、塩の味がした。ほんの、かすかな塩の味。久しぶりにはっきり感じる塩の味が、舌の奥にじんと広がった。

セルヴィーニャが、団子を一つ口に入れて、目を丸くした。

「sáunおいしい!」

フレウレラさんが、団子を箸でつまんで、しげしげと眺めた。機の糸の具合を見るときと、同じ目だった。それから口に入れて、ゆっくり噛んだ。口の端が、少しだけ上がった。

ウェレラさんは、黙って団子を噛んでいた。長いこと噛んでいた。

それから、炉の火のほうを見たまま、言った。

「anlúin, máinimor hégrul bóules.」

ウェレラさんは、棚の上の小さな壺を指さした。中には、茶色い殻の木の実が入っていた。どんぐりだった。

昔はどんぐりの団子を食べた、と言っているのだ。

それから、長い文を言った。速くて、僕にはほとんど聞き取れなかった。耳に残ったのは、tráimel と klér という音だけだった。言いながら、ウェレラさんは両腕で自分の肩を抱いて、ぶるっと震えてみせた。

寒いころ。ウェレラさんも、どんぐりの団子を食べた。

たぶん、そういうことだ。

ウェレラさんが話しているあいだ、ヒルヴァンは椀を持ったまま、じっと母親の横顔を見ていた。この話を、初めて聞いたわけではないのだろう。でも、何度聞いても、黙って聞く話なのだと思った。

僕は椀を置いた。言いたいことがあった。でも、言葉が足りなかった。だから、言葉を一つずつ並べた。おばあちゃんは、セルヴィーニャがウェレラさんを呼ぶときの言葉を借りた。

「anlúin昔, andaulóuraおばあちゃん bróla作った hégro団子.」

僕のおばあちゃんも、昔、団子を作った。

ウェレラさんは、僕の顔をじっと見た。

僕のおばあちゃんのお母さんが、戦争の中で、粉をこねて団子にした。寒い年に、ウェレラさんも、誰かがこねたどんぐりの団子を食べたのだろうか。崖の上と、どこかずっと遠い場所で、同じように腹をすかせながら。

そのことが、ウェレラさんに伝わったのかどうかは、わからない。

でも、ウェレラさんは、ゆっくりとうなずいた。皺の深い手を伸ばして、僕の頭をぽんぽんと二回叩いた。落ちてきた次の朝、粥の礼を言った僕に、してくれたのと同じ叩き方だった。

◆

しんとしたところで、ヒルヴァンが、空になった椀を、ずいと僕のほうへ突き出した。

「níl?」

一瞬、何のことかわからなかった。

それから思い出した。落ちてきた最初の夜。水のおかわりがほしくて、僕は椀を差し出して、ウェレラさんのまねをして níl と言ったのだ。飲め、と。

セルヴィーニャが吹き出した。フレウレラさんが、口に手を当てて肩を震わせた。ウェレラさんが、声を出して笑った。

ヒルヴァンは、にこりともしないで、椀を突き出したままだった。

あの夜、ヒルヴァンはすぐそばで、それを見ていたのだ。そして、ずっと覚えていたのだ。

僕は笑いながら、ヒルヴァンの椀に団子をよそった。

◆

その夜の鍋は、一粒も残らなかった。

いつもと同じ量の粟だった。でも、寝床に入っても、お腹がまだ温かかった。

屋根を打つ雨の音を聞きながら、僕は考えていた。

この人たちに、僕が教えられることなんて、ほとんどないのかもしれない。団子も知っていた。きのこの見分け方は、僕よりずっとよく知っていた。草一本の違いさえ、僕にはわからなかった。

それでも、今夜、ウェレラさんは椀を押し戻さなかった。

雨は、朝まで細く降りつづいていた。

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